こんにちは!
madokaです。
私は、1人1人が生き生きする生き方ができるように
尊厳教育で愛の海ネットワークを広げています☆
本物の愛に溢れた世界は
敵がいない状態!無敵状態です!!
無敵って力が強い人をイメージしがちだけど
文字が示す通り、本質的には力じゃないんだなと。
そんな海をこの日本から創っていくために
日々活動しています☆
昨日「第7回 NohJesu nTechマスター1day」が開催されました!
今回のテーマは「宗教の本質の大解剖と心の本質をマスターする」。
https://peatix.com/event/3306464/view
ちょうど安倍元首相の国葬が今月行われようとしている時期。
宗教と政治の繋がりについていろいろ議論されているこのタイミングだからこそ、とても興味深く受講してきました。
いきなりですが、みなさんは「宗教」と「哲学」は何が違うと思いますか?
「宗教」と「科学」は何が違うと思いますか?
「宗教」と「数学」はどうでしょうか?
違うことはわかりますよね。
でも何が一体違うのでしょうか?
では、逆にこれら「宗教」「哲学」「科学」「数学」に共通するものは、一体なんでしょうか?
今回は、このような整理を通して「宗教」とは何か、その本質とは何かの理解を深めていきました。
共通と違い、両方ともに様々な観点で表現することが出来ますが、マスター1dayの中で言っていたこととして1つ「共通」をあげるとするならば「自分の今見ているこの現実を、どのようにみるのか。そしてどのように解析をするのか」です。
私たちが今見ている世界、現実をどのように理解すればいいのか。それは、突き詰めたら、私たちはどこから来て、どこへ向かっているのかという、「宇宙論」と「人生論」を考えるということです。
「宗教」は「神」という概念を使って、
「哲学」は現実を疑うことによって、
「科学」は「物体」の成り立ちの解明によって、
方法は違うけれど、持つ疑問はみんな同じです。
そして、更にnTechではこれらのアプローチには共通のある問題があると言っています。
それが何かと言うと「言語の問題」です。
私たちが日ごろ使っている言語は、実は曖昧なものだということなんです。
例えば「雨が降る」。
でもこれ、よくよく考えると「降らない雨」は「雨」とは言わないですよね。水が空から落ちてくる状態を「雨」と言っていうのであるので、厳密に言えば変なんです。
「花が咲く」も同じです。「咲いてない花」は「花」ではないですよね。「咲いてる」から「花」なんです。「咲いてない」ものは「蕾」とかね。表現が変わってしまいます。
この現実を見事に表してくれているように感じる言語ですが、その言語は厳密にみるとどこか矛盾があります。
これが言語の限界なんです。違う表現をすると「言語構造が限界」と言えます。
私たちが使っている言語は全て「SV言語」と言っています。このSV言語が限界なんですね。
興味がある方は毎日平日開催している令和哲学カフェにて、Noh先生がお伝えしておりますので、ぜひそちらチェックしてみてください☆
▼アーカイブあります!
さて、本題に戻ると、これらの言語の限界があった上に各学問がこの現実を語っていこうとしている。なので、それこそが限界なんだということです。
それを、今回は「宗教」という分野から整理をしていっていました。
「宗教」とは何かをちゃんと理解すること、そして言語の限界がそことどう関係するのかを理解することで、視野が広がり、客観性が増します。
ただ闇雲に、わからないもの、変なもの、怖いものなど先入観でみるのではなく、ちゃんとその内容やその良さ、問題点を理解していくこと。
情報過多な時代において、しっかりと自分のリテラシー能力をつけていくことはとても大事ですね!
次回のマスター1dayは12/17開催!
次は「科学」を大解剖するそうです☆
そちらも楽しみですね♪
**(^^)人(^^)**
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